予備のパドルや昼食など必要なのもをカヌーに積み込みキャンプを出発する。天気は上々風一つない晴天だ。アンテロープキャニオンの入り口まではたったの20分。入り口は昨日と変わらず高い崖に挟まれた狭い水路になっていた。水路に入ると両側の壁が精神を圧迫する。赤茶けた岩肌と青空のコントラストが美しい。
一般的に有名なアンテロープキャニオンはパウエル湖のはるか上流に位置している。コークスクリューと呼ばれる渓谷は、沢の水が何千年もの月日をかけて複雑な蛇行した渓谷を作り出している。すでに谷の底の水は干上がり砂地である。渓谷は狭く、正午前後にだけ太陽の光が渓谷内を照らし美しい砂岩の地層を照らし出す。写真家には特に有名なのでガイドブックやウェブの旅行記などで目にしたことがある人も多いだろう。
僕らが侵入した渓谷はその有名な景勝地から数キロ下流だ。幅は広いところで20メートル。観光バス2台分の広さあるが、切り立った崖に囲まれているので上陸出来る場所は非常に限られている。
驚愕すべきは水路の両側の崖の高さだ。正確には分からないが少なくとも20メートル以上の完全に、完全に!垂直に切り立った赤茶けた崖が空に向かって伸びていた。砂漠の中の狭く切り取られた青空はまるで天の川だ。高い崖に囲まれた水路はその幅を広くそして時には圧迫感を感じるほど狭く幅を変えてカヌーの行き先に現れる。
こういう場所に来ると感動してばかりはいられない。両側は完全に切り立った崖だ。船がひっくり返ったら上陸する場所はほとんどない。それでも水際には時折人が数人立てる岩棚がある。岩棚がある場所をしっかり頭に入れながらカヌーを進める。前を漕ぐ嫁はたぶん僕がこんなに神経を研ぎ澄まして漕いでいる事は全く知らないだろう。雌は日常生活を守り、雄は狩りをして日常生活を支え家族の安全を確保する。生物としてのメスとオスの役割は違う事を理解すれば大抵の夫婦げんかは無くなるのではないだろうか。日常離れした景色の中で日常生活を考える。そして子供達は今目の前にある景色が日常だ。初めて出会う景色が日常な幼児達はのんきに船底でお絵かきを楽しんでいた。先ほど苦労して書いた景色の描写など全く関係のない世界で楽しんでいる。
それにしても美しい。大人たちだけで人間が作り得ない自然の建造物を静かに眺めながら静かな水面をカヌーの舳先が切り開いて水面の静寂をかき乱していく。
目の前に現れる新しい景色がカヌー後方に流れて行く。流れ進んでいるのは僕らだが、両側の崖が後方に流れて行くように感じる。静かな世界で動いているのは僕らだけのように感じた。
2時間ほどカヌーを進めるとパドルが川底に触れた。川底に触れたパドルの先からは水中に土煙があがり水面下を一気に盲目の世界に変えた。しばらくクリアな水を泥水に変えながらパドルを続けるとカヌーの船底が湖底を削り前に進まなくなった。
カヌーで進む事を諦めた僕らはためらいながらヒザ下まである水に両足を浸し、軽くなったが子供達を載せたままのカヌーを完全に水が無くなる砂地まで引き上げた。キャンプ道具を積んでいないカヌーは素直に砂地に乗り上げ、子供達が上陸出来る深さまで引き上がる事が出来た。
地上に降りた僕らはまだ崖に囲まれた狭い空の下にいた。今までの風景と違う点は周りに水がない事、僕ら自身の足で地上に立っている事、その2点だけだった。上陸地点から数分も歩かないうちに谷底には植物が多い茂っていた。遠い昔に水が無くなった事を示している。
アメリカの水不足は深刻だ。このレイクパウエルが作られてから一度もこの湖が満水になった事はない。レイクパウエルから流れ出る水はコロラド川となりグランドキャニオンを通りメキシコ湾に注ぐはずだが、メキシコで農業用水に全ての水を吸い取られ、最終的にはドブ川のようになり海まで到達していない。グーグルの地図で見れば分かるが、かつてはコロラド川が大量の水をメキシコ湾まで注いでいた。アメリカの人口増加と近代化が水の流れを変えてしまったのか。皮肉にもアメリカを代表する河川「コロラド川」を見ると誰にでも分かる。
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