2012年11月7日水曜日

20121028 レイクパウエル 1



レイクパウエルの名前を聞いたのは確か小学生の頃だった。かなり古い映画だが「猿の惑星」というSFものの映画に撮影地に使われたのをテレビか何かで聞いたのを覚えている。アメリカ大陸に住む事になってから15年以上経ってからこの湖で遊ぶなんて、もちろん当時は考えてもいなかった。 

レイクパウエルはアメリカ南西部の砂漠地帯のコロラド川を堰き止めて作られた人造湖である。アメリカのユタ州とアリゾナ州の州境に位置し、アメリカで2番めに大きな湖だ。 
日本では考えられないが。レイクパウエル周辺では降水量よりも太陽の熱で蒸発する水分の方がはるかに多い。一番近い海から千キロ以上離れ、5月から9月までは気温が20度以下に下がることがほとんどないこの地にアメリカ中からバカンスを楽しむ人が集まって来る。 
トップシーズンには巨大な湖のいたる所に、日本の一般的な一軒家の2倍はあるボートハウスと呼ばれる巨大な船が停泊し、アメリカのミリオネアの別荘と化している。 
僕らが訪れた10月にも何隻ものボートハウスがマリーナに停泊していた。 
今回のトリップはこのレイクパウウェルでのバックカントリーカヌートリップである。 
この湖のすぐ近くにアンテロープキャニオンと呼ばれる有名な渓谷がある。赤茶けた縞模様の砂岩が時々起こるスコールによる洪水に侵食され、「コークスクリュー」と呼ばれる。美しい渓谷を作り出している。数多くのミュージックビデオやCMが撮影されているので写真などで見たことのある人も多いのではないだろうか。 
今回はそんな美しい渓谷にカヌーで入り込む事は可能だろうか。可能ならばそこには一般ツーリストには絶対に体験できない世界が広がっているはずだ。 

カナディアンロッキーに住んでいる僕らはカナダとアメリカの国境を越え3日間かけてアリゾナ州まで車で南下した。今回は6歳と3歳の娘を含む家族全員で移動したので3日かかったが、大人だけだったら2日間で移動出来る。それででも移動距離は2千キロを超えるので日本では考えられない距離である。 
カナダから南下してユタ州を過ぎるとモーターホテルの料金が安くなるのでびっくりする。アメリカでは有名な格安ホテルチェーン「モーテル6」では一家4人で一泊50ドル、日本円で4千円程度。おそらく南下すると真冬でも路上で寝泊まりできるからだろうか、外気から身を守るシェルターの価値が低いのだろう。 

途中、モンタナ州の州都「ヘレナ」とユタ州の州都「ソルトレイクシティー」でそれぞれ一泊。この時点で車の走行距離は1500キロメートル。子供達はIPADでサザエさんとちびまる子ちゃん、それとルパン三世のカリオストロの城をおそらく一生分堪能したはずである。 
レイクパウエルへの旅の途中、ソルトレイクシティーでビールを購入してモーテルで飲む。飲んでも飲んでも酔わない・・・。数本飲んだ後の心地良い眠気を誘う酩酊感が全く来ない。酔は来ないが利尿作用はしっかり働くらしくションベンばかり出るので飲むのを諦めて寝る。 
ユタ州は規律の厳しいモルモン教徒の本拠地であるので政治家もモルモン教徒が多い。ビールの缶にアルコール度数が表示されていないのではっきりしたことは分からないがおそらく体感3%程度だ。ユタ州に入る前に大量にアルコールを買っておくべきだったと後悔する。 
ソルトレイクシティーを超えて南下すると次第にハイウェイ沿いに見られたし芝科の植物が見られなくなり、その代わり砂状の土地にセージブラシが貧しく生える風景に変わる。僕らが通過するユタ州最後の町「カバブ」を過ぎると何処までも続く砂漠地帯になり、生命の息吹が一気に希薄になる。 

3日かけてレイク・パウエル湖畔の町「ペイジ」に着く頃には外は真っ暗になっていた。 
ペイジの町では去年リタイヤしたばかりの初老の友人クラークが僕らを迎えてくれた。リーバイス501がよく似合う白人の彼とは3年前セドナの近くのマイナーだが最高に過ごしやすいキャンプ場で知り合った。 
クラークは3年前、僕らの隣で一人でキャンプをしていた。嫁と僕は「きっと奥さんに先立たれたか何かで独り身に違いない。だからキャンプなんぞをして寂しさを紛らわそうとしているんだろう。」などと陰口を叩いていたのだがその真逆で、奥さんはまだリタイアしていないので忙しい。子供が4人もいてその孫の数が半端でない。孫の習い事の送り迎えやらなにやらで毎日忙しくてな大変だそうな。独り身どころかビッグファミリーの貴重な労働力なのである。クラークにとってキャンプは一人でゆっくり出来る貴重な時間なのであった。 
僕らがペイジに着いた時も孫のサッカーが終わるの迎えに行く途中で、僕とクラークはペイジの市民サッカー場で待ち合わせとなった。 
人口7千人足らずの町には立派すぎるサッカー場に思えた。2012年現在、クソすぎるアメリカドルの価値に到底似合わない規模である。鮮やかな緑色のグランドを煌々と明るいライトが照らす。 
砂漠にある町の青い芝生が眩しいサッカー場に目を凝らすと子供達の7割ぐらいがインディアンである。この町はアメリカ最大のインディアン「ナバホ族」居留地に隣接している。子供達を迎えに来ている親たちももちろん圧倒的にネイティブが多い。 
クラークの孫、ブライセンをピックアップしてクラーク宅に向かい。一晩お世話になる事となる。 
クラークの奥さんは黒人だ。南アフリカ出身の彼女はイギリスの植民地出身らしく「世の中全て苦渋に満ちている」という感じの冗談を交えて会話をする。結婚当時はアメリカ国内の黒人に対する差別がひどく、クラークも結婚を決意した時には両親に結婚相手が黒人だと告げる事が出来なかったそうだ。クラークの両親も教師だったそうで、教師相手に結婚相手が黒人だと告げられないアメリカの古いダークな時代が感じられた。 
救急救命士であるクラークの息子さんは仕事でペイジの町を離れてい 
てしばらく帰ってこない。時計を見るとすでに夜の9時を過ぎていた。僕らはキッチンを借りて簡単な食事を作り。快適なベッドでの睡眠をゴチになった。 
明日はいよいよ砂漠のオアシス「レイクパエル」カヌーを浮かべる日だ。3日乾いた空気に晒されたカヌーにたっぷり水に浸かっておう。 
砂漠の赤い岩に囲まれたキャニオンを想像しながら目を閉じた。
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