30前後のカップルが僕らに追いつき、彼らも上陸した。彼らの船は「シットオントップ」と呼ばれサーフボードの上に座席があるタイプの船だった。日本では沖縄などの南国で使われる事が多い。このパウエル湖も真夏は40度を越える砂漠の中だ。夏は快適そうだが、10月に使用するにはちょっと寒そうである。軽く挨拶だけして僕らはキャニオンの奥に向かって歩き始めた。
水面から砂地に変わった谷底を歩く。いじけた低い植物が時折砂地を張っている。近づいて見ると鋭い刺がある。砂漠の植物のほとんどは攻撃的な形態をしている。乾燥した空気と明らかに栄養に乏しい大地には極端に生命の影が薄い。生命は他の生命を犠牲にすることなしに生きることは出来ない。他の生命から自らの命を守るために攻撃的にならざるえないのかもしれない。以上の理由から僕はベジタリアンにはなれない、もちろんベジタリアンを否定するつもりはない。それぞれ自分の信仰を信じて生きていけばいいと思いう。
両側にそそり立つ崖に触っるとざらついた砂岩だ。爪でひっかくと簡単に傷がつく。渓谷を奥に歩くにつれて、目線の高さの壁に落書きが目立つ。一番多いのは名前と日付だ。カップルの名前が圧倒的に多い。ハートマーク付きの記念書き込みは結構痛い。他に盛り上がれる記念碑はないのだろうか。どうせならパスルやクイズを書き込んでくれたほうがまだマシだ。バカを宣伝したい奴らの広告を見ながら更に奥を目指す。
そろそろ帰ろうと言い出したのはカミさんだった。日が高いうちに帰るべきだと主張。この谷を遡って行けばアンテロープキャニオンの中でも有名なコークスクリューに到達する。もっと奥まで進みたかったが、カミさんの考えに同意して引き返すことにする。
バックカントリーでの遭難事故の被害者は圧倒的に男性が多い。男性にはプライドという男性を男性たらしめしていると同時にくだらないちっぽけな感情があり、それが予想を越えて最悪の事態を引き起こすことがある。バックカントリーに入ると僕は女性の意見を非常に尊重することにしている。それがたとえバックカントリーの知識がない人の意見だとしても女性の危機に感する感覚は男性よりも優れていいるのではないかと思う。一般的に男性に比べて女性の方が「知識」に乏しい。一方男性には「知識」マニアが多い。子供でも男の子は新幹線の駅を全て暗記したりする。「知識」は男性を雄弁な自信家に育て上げる。しかし、平均寿命は女性のほうが圧倒的に高い。女性の方が生への感覚が高いような気がする。反論も有ると思うが、僕はその意見に反対するつもりは全くない。なんの根拠もない。完全に僕の感覚でそう思うだけだ。
カヌーに戻り、渓谷を漕ぎ戻る。来た時と同じ美しい風景が僕らを包む。両岸の高い崖とその上に広がる完全なる青が現れては後方に進む。順調にキャンプ地までカヌー先端は水面を切り開いていった。
風が強くなっきた。キャニオンの出口まではあと1キロほどだ。蛇行するキャニオンを漕ぎ進めとあるカーブを曲がると風が強くなって来た。完全な向かい風だ。ここからはあとカーブを3つほど曲がりパウエル湖の本体に出れば20分ほどでキャンプ地に帰れるはずだ。距離にして1キロ無いはずだ。
風にバウを向けて力強く漕ぐ。カヌーにとって風は大きな抵抗になる。キャンプ道具を積んでいないため船体が軽いのでさらに影響が大きい。
風が次第に強くなっていく。湖面には細かいさざ波が立ち、カヌーを風に向けて真っ直ぐ向けるのが難しくなってくる。パドリングをスターンプライからカナディアンストロークに変えて推進力を加える。
風が更に強くなる。さざ波が高い三角波に変わりカヌーの船首を一定方向をキープするのが困難になって来た。それどころかカヌーは一切前に進まない。
風は力を増し水面の水を飛ばし始めた。風に飛ばされた水が顔を刺す。バウにいる嫁はもっと水を浴びているはずだ。
「お前ら、カヌーの中にしゃがめ!」
半ば叫び声に近い調子で子供達の頭を船の中に入れる。少しでも風の抵抗を無くさなければカヌーを操作出来ない。カヌーを風に対して横にしたら最後、転覆も免れないほどの大風になって来た。風が湖面の水を拾い上げ空中に飛沫を飛ばしそれが僕らに襲いかかる。カヌーは左右に翻弄され時折壁に近づく。壁に押し付けれられたらどうなるか分からない。僕はカヌーを水路の真ん中にキープして向かい風に耐えた。
これは絶対前に進めない。僕は両岸を高い崖に囲まれたキャニオンの中で、カヌーを転覆させないようシングルパドルのフィン水中で力いっぱい掻き回した。