2012年12月25日火曜日
レイクパウエル 9 砂漠の渓谷に侵入!別世界が広がった。
我々のキャンプサイトの近くに数十メートルもある岸壁に囲まれた小さな入り江があった。その入江にカヌーを入れる。
岸壁に近づくと我々の乗ったカヌーがまるでお菓子についてくる景品のおもちゃのように感じられた。ただの茶色の壁がこれだけの人間の精神を圧迫するものだろうか。岸壁は水面下まで続いている。水面下にどれぐらい深く落ち込んでいるか想像もつかない。もしかして、数メートル。しかし、見上げる岸壁を見ていると数十メートルの深さまで続いてるかも知れない。水中に存在するグランドキャニオンクラスの渓谷を想像するだけでなんだか気持ちが落ち着かない気持ちになる。
その小さな入り江の奥から2艇のカヤックが姿を現した。見た目40代の夫婦。カヌーなどの装備を見ればレンタルではなくてカヤック愛好家だとすぐに分かる。近づくとお互い挨拶を交わす。お互いウィルダネスを求めて来ているので他人会う時の挨拶はそれほど感動的ではない。基本、人を避けているのでその挨拶は軽いものとなる。
近づくと男性のカヤッカーの装備が今まで見たこともないようなギア満載であった。カヌーの前後にGO PROのカメラを取り付け、カメラのリモートコントローラーを二の腕に装着。GPSをコクピット前に設置してその上コンパスをぶら下げている。こんなギアマニアなカヤッカーに僕は一度もお目にかかったことはない。
「こんにちは、装備がすごいね。カメラ2台も設置して。」
「ああ、前のカメラは10秒毎にシャッターが切れるように設定してある。後ろのやつは景色がいい時にビデオを撮るようにしている。ところで、家族でカヌーに乗っているところを写真に撮る機会はなかなかだいだろう?写真とってあげるよ。」
彼にとって旅を写真などの記録に残すことは大変重要なことなのだろう。確かに、カヌーを湖に浮かべている写真を家族揃って取ってもらう機会はなかなかないのでありがたく親切に甘えることした。お互いの艇を近づけて僕の一眼レフカメラを手渡すと、慣れた手つきでカメラを操作し写真を撮ってくれた。僕らがお礼を言うと彼はまた、10秒に一枚写真を取りながら入江の外へと漕ぎ出していった。
入江の一番奥にある小さなビーチからは上陸して散策が楽しめそうだったが、時計を見るとすでに午後の5時。7時には暗闇に包まれるので僕らはカヌーをキャンプサイトに向けて漕ぎだした。今晩も焚き火のパーティーが待っている。
夕食はパスタ。二日目から食生活は一気に貧しくなる。パスタ料理が貧しいと言っているのではない。アメリカのレトルト食品を使ったパスタが貧しいのである。
缶詰のトマトソースとエビの缶詰を使ってシーフードパスタを作ったがこれがビミョーに失敗であった。パスタソースは良かったのだが、エビの缶詰がまずかった。エビといえばムッチムチをプリンッとした食感で食べるのが最高だが、缶詰エビはフォークでつついただけでまるでツナ缶のツナのように見がほぐれ、トマトソースと共にアツアツに暖めた頃にはすっかり身がどこかにいってしまった。しかもなんとなく生臭さが残り、完成する頃にはすっかり腹を満たすだけの物体に成り下がってしまった。
2日目からの食事の貧しさはほぼ僕の食に対する知識と工夫不足のせいであることは認めよう。しかしながらアメリカ中西部の食の貧しさに関しては恐ろしく貧しと言わざるを得ない。
アメリカのスーパーマーケットの巨大さは凄まじい。サッカーコート1面分ぐらいはあるのではないだろうか。買い物客を見ると大型のスーツケース5杯分ぐらいは余裕でカートに載せてレジに並ぶ。食材は豊富だ。しかし、決定的に不測しているのは新鮮さだ。ナマモノが決定的に少ない。季節の野菜と言えばとうもろこしと桃ぐらいで、青果コーナーの顔ぶれは一年を通して変わることがない。
巨大なスーパーの大半は冷凍食品と缶詰、ポテトチップスで絞められている。ポテトチップスはさすがに大げさに書いたが、保存可能な食材の占める割合が異常に多いのは本当のことである。
アメリカの大半の家では冷蔵庫とは別に大型の冷凍庫を持っている。アメリカは日本から出た事のない人には想像出来ないぐらい大きい。10分車を走らせればどんな田舎でもスーパーやコンビニのある日本とは違い1時間ドライブしないとまともなスーパーマーケットに行く事が出来ないという人は珍しくない。そういう場所に住んでいる人達は数週間分まとめて買い物をする。絶対的な「ディスタンス」が食文化を貧しくしているのではないかと思うが、それにしても平均的アメリカ人はもう少しベターな食生活を送ってもいいと思う。
アメリカで手に入らないものはほぼ無いといっていい。大都市に行けば、キャビアやフォアグラはもちろん、ごぼうや納豆だって手に入るのだ。本気を出せば利尻こんぶだって手に入る。庶民レベルでなぜもっと食文化が発達しないのかが不思議でならない。食に関するこだわりは日本特有のものなのだろうか。人間の欲求の基幹をなす食欲に貪欲さがこのアメリカ中西部では絶対的に不足している気がしてならない。
太陽が完全に沈んだ後、山陰から漏れる薄い光の中で一人で湖に漕ぎ出す。荷物のない大型カヌーを風の中で真っ直ぐ進めるのは不可能だ。大風の来ない夜直前の湖面を一人で楽しんだ。
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2012年12月23日日曜日
レイクパウエル 8 砂漠の渓谷に侵入!別世界が広がった。
子供たちは相変わらずカヌーの船底に寝そべって絵本を読んでいる。子供にはきっと「非日常」がないのだろう。普通ではない景色を楽しむには普通の世界にどっぷり浸かり普通の経験を積む必要がある。子供たちの無感動具合を見ていると最大の感動を得るには長い長い普通の生活が欠かせないのだろうと思う。平凡な日々の大切さを噛み締める良い機会を子供たちは与えてくれる。
渓谷から出ると相変わらず広い青空が広がっていた。湾の中にはレジャーボートが増えていた。あるレジャーボートは僕らの木の葉のようなカヌーには全く遠慮無く大波を立てて爆走していく。波にバウを向けて波をやり過ごす。
船には十代と思われる若い男女が8人ぐらい乗っていた。その船は崖片側が10メートル以上の崖になっている島にたどり着くと崖のてっぺんに登り、そこから次々にダイブした。飛び込むのを躊躇する者にはレジャーボートから「飛べ!」と大合唱が始まる。最後のまで飛べなかった女の子がいた。僕は飛び降りた時にビキニが取れておっぱいでも見えはしないかと期待していたが。湖に飛び込むと若者達からは健康的な大声援が起こった。
遠くから大音量でハードロックの大御所ヴァン・ヘイレンの名曲ジャンプの曲が聞こえてきた。その音楽は数人が宿泊出来るハウスボートと呼ばれる大型の船から聞こえてきた。ハスボートとは船のキャンピングカーと思ってもらえばよい。金属製のいかだにキャンピングカーの住居部分を載せたもので操行性能は完全に二の次になっている船である。
ハウスボートは3メートル程の崖を持つ岸のそばに係留されている。崖の上には十歳前後の子供が3人立って湖面を覗き込んでいる。ボートにはその両親とおもわれる男女がデッキチェアーに座り、盛んに子供達に声をかけている。
「いけいけ!大丈夫!」
先ほどの若者の大半は10メートル以上もある崖から躊躇せずガンガン飛び込んでいたのでスゲーなと思っていたが、なるほどこうやって子供の頃から鍛えられているのだなと納得がいく。
とにかく、アメリカ人はモーターが大好きだ。昼間のレイクパウエルはボート天国であった。それでもなぜかモーター音の不快さはあまり感じられなかった。大抵のモーターボートは僕らの姿を見つけるとスピードを落として波が立たないように配慮してくれたし、僕らを避けるように大回りしてくれた。
モーターボートだけの遊び場かというともちろんそんな事はない。僕らと同じ動力無しで湖を楽しむ仲間を水面に見つけることもある。それでもここはやはりアメリカ。僕が住むカナダではあまりお目にかかれないタイプのカヤッカーにも出会う事ができた。
2012年12月12日水曜日
レイクパウエル 7 砂漠の渓谷に侵入!別世界が広がった。
そこはしんと静まり返り、断崖に囲まれた狭い空に照らされた空間だった。波一つ立っていない水面は鏡のように平でところどころに浮かんでいる流木の水面から出た部分が水面にきれいに映り上下対称に見える。自然界に完全に真っ直ぐな物を見つけるのは難しい。その代表格は水だ。湖面に映った富士山はその代表格である。
上下対称の世界をカヌーで行く。カヌーの先端が鏡面のような水を切り裂くき、後ろを振り向くと2つに別れた波紋が岸に向かってきれいに走って行く。波紋が渓谷の両岸の当たると、水面はまた静寂を取りもどす。
カヌーを進めるごとのに両側の崖は完全に垂直になる。壁は何重もの地層になっている。この辺りの地層が小さな砂粒から成る砂岩である。様々な大きさの粒からなる砂岩は触っみると脆くナイフで簡単に傷が着くほど柔らかい。崖にはところどころ小さな穴が規則的に並んでいる場所がある。
地層の創りだす芸術的ともいってもいいオブジェが次々に現れる。そんな中子供二人の目をやると景色には一切興味が無いようで、カヌーの底に寝転び絵本を読んでいる。騒いでいるよりはずっとましなので静かな環境で目の前に次々に現れる芸術作品を楽しんだ。
ところどころ太陽の光が狭い渓谷の入口をすり抜け湖面まで届いている場所がある。太陽の光が壁に反射して投写されると、まるで光の網の目が揺らめいているように見えて大変美しい。壁に近づくと自分の平衡感覚がおかしくなってくる。
カヌーを峡谷の奥に進めれば進めるほど両側の岸壁がせまり渓谷が細くなる。水面下は数十メートルの深さがあるはずだ。それを考えると急に恐怖が心臓近くに湧き起こり、ざわざわとした感覚が胸全体を覆った。進むにつれて両側の壁が迫って来る。そしてどんな種類の木かわからないがセージブラシのような小さな枯れ葉が水面に漂いはじめる。その枯れ葉が目立ち初めてから数十分すると枯れ葉が水面全体を覆った。枯葉に覆われた水面にパドルを入れるとまるで粘土をこねるような感触があった。カヌーの進みも遅くなる。
「なんだか気持ち悪い、帰ろう。」
カミさんが急に声を出した。
女性は環境に敏感である。冬山に行ったら女性の指示に従えという登山入門書がカナダにあったと思う。
女性の方が確実に危険察知能力は上だ。子供がいる女性を知る人はご存知だと思うが母親としての用意周到具合は知性の範疇を完全に越える。数分歩けばコンビニに出会える大都会に行くのにお弁当を用意する、高級ホテルに宿泊するにもかかわらず自宅からタオルを大量に持っていく。それでも結果は大抵女性の方が正しい。
女性の偉大なる危険察知能力は3日後に明らかとなる。
2012年12月6日木曜日
レイク・パウエル 6
朝目が覚める。うっすらとテントの外が白くなり、テント内にある物体の形が浮かび上がる程度の明るさだ。誰も起きてないらしい。僕以外の寝息がテントの中に響き渡る。寝息が響き渡るぐらいし静かな朝は僕に二度寝をもたらした。起きる理由が無い朝はなんて素敵なのだろうか。
2度目の目覚めは強烈な光によってもたらされた。テントは黄色で太陽の光も黄色だ。黄色の二乗は四倍の光となって僕のまぶたの後ろを刺激した。もはや朝とは言えない光とテント内の気温がやっと僕の腰を上げる気にさせてくれた。それでも立ち上がる理由はない。学校も会社も無いのだ。余程の理由がない限り今一番快適な状態を変えようとは考えられない。
3度目に目が覚めたのは息苦しさのせいだ。テント内の気温は40度近いのではないだろうか、今着ている服を全て脱ぎたい。じっとしていても鼻先に発汗を感じる。我が家の女子達はそれでも息苦しそうに惰眠を貪っているのは女子特有の特殊能力だろうか、目覚める気配は無い。暑いのだがそれも僕の体を起こす理由にはならなかった。まだ我慢できる範囲の気温だ。枕元の本を読んでいると強烈な尿意を覚えた。究極のぐうたらもどうやらおしっこには勝てない。僕はやっと体を起こしてテントのジッパーを開けた。
テントの入口を開けるとさわやかな空気がテント内に入り込んで来た。真夏のコンビニに駆け込んだような爽やかさを覚える。空を見上げると強烈な青。宇宙まで透けて見えそうな濃い青空が広がっていた。砂漠のキャンプは大好きだ。砂漠が砂漠になるのは極端に晴天率が高いからだ。山岳地帯のキャンプのように毎日天気予報に怯えて過ごすことはまずありえない。僕の住むカナダから1500キロも運転してきたことを心から感謝した。
時計を見るとまだ朝の9時だった。おもいっきり朝寝坊した気がしたがそれほど時間は経っていなかった。普段家で生活している時の朝の時間が過ぎる速度といったらまるで早口言葉の三倍速である。テントから這い出て少し歩き影を見つけおしっこをしているとおしっこの出る速度までゆっくり感じたが、それは僕が去年40歳の誕生日を迎え、年を年を取ったからである。
風は無く湖面は鏡のように静まり返っている。週末が終わり月曜日ということもあり、昨日はあんなに湖を漂っていたモーターボートが1隻も見えない。娘のメリが起きてきた。朝食を一緒にとる。僕はインスタントのポテトスープをメリは温めた牛乳を飲む。この気温だと牛乳は今日限定。明日からは牛乳は無し。不便な世界に入り込むと否応なしに様々なルールが発生する。これらのルールに沿って工夫する楽しみがある。食事一つとっても冷蔵庫がない場合、色々と工夫をしなければならない。不便さはアイディアを産み万能は怠惰を産む。しかし、僕の頭の中には特に新しいアイディアが思い浮かぶ事なく、誰かに聞いたり本で読んだメニューで残りの食生活を過ごすごとになる。
朝食を終えると、なんとなく過ごす。やることが無いのだ。メリは昨日の続きの本を読み僕も昨日の続きの本を読んだ。嫁と下の娘ソノラもテントから這い出してきた。彼女らが這い出してきた頃は太陽が本気を出して地面を照りつける午前10時という時間だった。後から起きだしてきたメンバーは朝食とも昼食とも言えない食事を取り、各自フリースタイルでくつろいだ。
「くつろぐ」というのは退屈である。日本産まれ日本育ちの僕には「くつろぐ」というのが我慢出来ないらしい。結局何かかしないと落ち着かない、時間を無駄にしているような気がする。日本で超忙しい海外旅行ツアーが売れるのはこの国民性によるのではないかと思う。ツアーが忙しければ忙しいほど「この旅行社は仕切りが良い!」なん喜ばれたりする。普通の日本人にはきっと、一ヶ月バケーションで何もしないとかは無理なんだと思う。幸い僕らの目の前にはジリジリと照りつける太陽の下に美しい湖があった。目の前には小さいながらも砂地のビーチがあり、湖岸から十メートル先にはいい感じの周囲数メートルの島がある。これは泳ぐしかない。
ジリジリと照りつける太陽光線が僕の背中を押した。水に飛び込むと予想以上に水温が高い。ライフジャケットを着けて飛び込んだのだがこれは癖になる。何もしなくても頭が出るのは楽で良い。太陽光線でほってた体は5分ほどで冷却され快適な湖水浴を楽しんだ。子供達もライフジャケットを身につけ恐る恐る湖に入る。いったん入ってしまえば子供にとってそこは天国。丸めたスリーピングマットをフロート代わりにして遊ぶ。湖の中に潜ると薄い水色の世界が広がっていた。透明度は5メートルほど。ビーチから数メートル離れると底は見えない。ここはかつてグランドキャニオンに匹敵する大渓谷だった場所だ。ビーチから数メートル先は数百メートル落ち込んでいる可能性もある。想像力をかきたてる湖である。
インスタントラーメンを食べ終えて時計を見ると午後の2時だった。これはゆっくりし過ぎた。午後7時には湖全体が暗闇に包まれてしまう。残り時間はたった5時間、太陽が地上に出ている時間はたった4時間だ。僕らは湖から上がりカヌー探索の準備を急いだ。
カヌーに乗り込む前にこの辺りの地図を確認する。iphoneにダウンロードしてきた地図が一番正確だ。キャンプした入江を北上したところに狭い渓谷が見つかった。地図によるとその渓谷は約1キロ漕ぎ上がった場所で水がなくなるようだ。
カヌーに乗り込み漕ぎ出す。湖面はおだやかだ。時よりジェットスキーや釣り船が通過する。狭い入り江の中なのでモーター付きのボートもそれほどスピードを出せない。複雑に入り組んだ湖岸線に沿って北上すると30分も経たないうちに目的の渓谷の入口に着いた。渓谷の入り口は思ったより狭く、両側は10メートル以上の切り立った崖に囲まれている。なんだが進むのが怖い。体験した事のない世界に入り込むと感動と同時に恐怖がやってくるのはおそらく体験した人にしかわからないだろう。我々はこの先でそんな経験をすることになる。
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