2012年3月31日土曜日

ジャクソンホール Day 4 同行した子供達と遊んだ後、ホンモノのジャクソンホールの顔を見る

朝起きてベッドルームから這い出してリビングルームから外を見る。
雪は降っていない。しかし、昨日のストームは標高の高い所にたっぷり雪を落としてくれているはずだ。
極端に朝に弱いもっちゃんがすでに起きている。昨日のパウダースノーが脳裏に焼きついて夢を見たに違いない。放っておけば24時間寝てる人なので一同驚く。
初日のジャクソンホールはくそホールだったが、今日は違うはずだ。そんな期待と共に僕以外のメンバーはタクの運転するでリゾートに向けて消えていった。
僕以外・・・・。そう、僕にはかわいい娘が2人いる。彼女らも今回の旅のメンバー。一緒に旅を楽しまなければならない。
3歳児と5歳児二人とスキーに出かけるにはかなりの覚悟がいる。彼女らのスキー道具は全て僕が持たなければならない。
まずは3人で朝ごはん。二人から容赦無く様々な注文が入る。
「牛乳!あったかいの~」
「フォークがな~い」
「パンが落ちた」

「おしっこ~!」
日本で買ったユニクロのヒートテックに着替えさせる。
わき道に反れるが、ヒートテックみたいな物をユニクロから出されたら中途半端なアウトドアメーカーはたまらないだろう。そのうちゴアテックスの類似品シェルまで出るに違いない。事実すでにH&Mでは透湿素材の
子供用レインウェアが発売されている。シームもしっかりしているし、ハイキング程度なら問題なく使える。勝手な想像だが手軽な透湿素材もナイロン素材並に安くなっているのではないだろうか?本気で「ユニクロアウトドア」なんて出たら既存のアウトドアウェアー業界は大変そうだ。
子供達を車に乗せてジャクソンホールを目指す。簡単に書いたが、二人にスキーウェアを着せて、二人分の道具を忘れないように車に積み、ご機嫌を取りながらシートベルトを締めさせ・・・・ああ、これが何年続くのか。子沢山の橋下大阪市長の偉大さに感服する。
ジャクソンホールに着いてまずは全ての装備をチケット売り場の前に下ろす。それから駐車場へ。駐車場からはシャトルバスに乗って再びリフト乗り場へ。ジャクソンホールは年齢層が高いこともあって2人の園児を連れた僕らはシャトルバスの中で大人気だった。おそらくアジア人が珍しいということもあるようだ。なぜか白人しかいない。アメリカでは白人専用バスがまだ走っているのかと思ってしまうぐらいの白人率。カナダに住む僕らにとっては少し異様な光景だった。
ジャクソンホールにはファミリーにとって素晴らしいチケットがある。初心者用リフト限定で子供同伴なら大人10ドル!これは凄い。初心者用リフトといってもここはアメリカだ。一本のリフトの長さが日本とは違う。3歳児には十分である。
滑り出すと、コース内の森の中に入るゲートがある。ゲートを抜けるとまるであみだくじのように行き先が分かれた細い通路が森の中を走って走っている。子供達は競うように森の中のトレイルを楽しんでいた。
子供達と滑る事2時間。僕は高級リゾートに子供達を連れて来た自尊心に大層満足して(10ドルですが・・・)いい気分になったところで、無線機からユキヨの声が聞こえた。
「子供の世話変わりたくないぐらい最高です。間もなくベースに着くので準備しておいてください。」
10分後、子供を嫁に預けて赤いトラムに乗り込んだ。

トラムが山頂駅に着く直前にトラムの左側に例のコルベッツキャビンが見える。相変わらずコルベッツキャビンの入り口には見物人が大勢見える。シュートに飛び込む滑り手は見えなかった。

トラムが山頂駅に着くと音楽が鳴り響き、DJの声がトラム内を盛り上げる。ドアが開くとヘルメットをかぶった本気の滑り手が次々に外に出て行った。

開口一番タクが言った。
「やばいっすよ。バックカントリーが」
タクは今日半日リゾート内を一切滑っていないとの事。
もっちゃんとタクの案内で、リゾートの南へ南へトラバースする。かなりの距離を滑るとスキー場外を示すロープが見えてきた。
スキー場外に出るのは完全に公認されているようで、スキーエリアからの出口にはティトンパスにもあったアバランチトランシーバーのチェック機が設置してあった。
アメリカは訴訟の国だ。スキー場によってはスキー外とスキー場内の間に滑走禁止地区を設けてスキーヤーが一切スキー場外に出ることが出来ないようになっているリゾートもあるらしい。僕のホームゲレンデのレイクルイーズや日本のニセコもそうだが、リゾートとスキー場外に出る人達の信頼関係はジャクソンホールでも崩れていいないようだ。それはそうだろう。ジャクソンホールは大都市からかなり外れたワイオミングの片隅のリゾートだ。

ここにいる人達は本気でスリルを求める本物の雪好きか、都会の雑踏から離れた静かな田舎に別荘を買えるような大金持ちのどちらかだ。危険なバックカントリーに飛び出すのは大半が前者である。

バックカントリーに入る。
一瞬言葉を失う。
そこには若いときに食い入るように見入ったビデオの世界が広がっている。斜度50度のパウダーライン、クリフ、シュート・・・・
参りました。。目の前に広がるバックカントリーエリアにはすでに無数のトラックが入っている。ビデオサイズのクリフを飛んだラインは素人とは思えない。僕のような素人がうなってしまうようなラインがシュートの中にもいくつかありえないラインを刻んでいる。コルベッツキャビンは完全に客寄せパンダだ。ジャクソンホールの真髄は完全にバックカントリーにあった。

目の前に見えるビデオ級のバックカントリーエリアはかなりのハイクアップが必要だ。残念ながらすでに午後の1時。今回は偵察という理由をつけて目の前の斜面をあきらめた。
僕らが立っている尾根の下に目を向けると緩やかだが、おいしそうなノートラックの斜面が広がっている。帰り道を探しながら少し重いパウダーを楽しみながらジャクソンホールバックカントリーを楽しんだ。
次回はきっとチャレンジングな滑りになりそうだ。なぜならホンモノのジャクソンホールの顔を知ってしまったからだ。

体力とテクニックを維持しながら長生きしないと損をするようだね。僕の生き方はどうやら生まれる前から神が決めていたみたいだ。

2012年3月21日水曜日

ジャクソンホール Day 3 ティトンパス 後編

14時00分
宿に帰るとタクともっちゃんはさすがに目を覚まして部屋でくつろいでいた。
「バックカントリー行くぞ、ただし、今から15分以内で準備が出来るならだ。」
「行きます。行きます。」

14時30分
この時間にバックカントリーに出かける事が出来る場所を見つけられたのはラッキーなのかどうなのか?この時間に出発は山の常識からいったらありえない。でもやっちまった。日没は19時ぐらい。バックカントリーの装備を身につけ車に乗り込んでティトンパスに向けて出発した。

15時45分
ティトンパスの頂上。途中峠から降りてきた仲間をピックアップする場所を確認してから峠に上がったので結構時間がかかる。
峠の頂上は午後の4時近いのにもかかわらずバックカントリーを楽しむ人々の車でいっぱいだ。僕は車を停めて僕以外のメンバーをに下ろした。途中にあるトラップなど僕が集めた全ての情報を皆に伝えた。後は何とかしてくれ。
駐車場に山から降りてきたスキーヤーがいた。年齢は50半ば、ジャクソンホールのスキーヤーは年齢層が高い。
「シーバスに入りたいんだけど、帰り道は道路への出口は簡単に分かりますか?初めて来たもので教えて欲しいいんですが。」
スキーヤーは僕らを見て少し戸惑いながら話し始めた。
「出口は簡単だよ。迷うことはないだろう。でも君たちはバックカントリーギアとか持っている?全く装備のない人を山の中に案内することになるのはちょっと嫌だから・・・」
「ビーコンもシャベルも全部持っています。経験もあるので大丈夫です。」
「それでは・・・・」
と、いうことで貴重な話が聞けた
「尾根を下ると必ず旧道に出る。旧道は明らかに人工的物なので見逃すことはないと思う。旧道を見逃してさらに下の沢まで下ってしまったらちょっと登り返しが大変だ。とにかく旧道を見つけたら旧道をそのまま下ること。そうすればまず大丈夫。グッドラック。」
彼はおんぼろのトラックに乗って峠を走り去った。
「あの人、一人でしたよね?ビーコンとか言ってたけど、一人はないですよね。」
と、タク。確かに。
僕を残した大人たちは駐車上から吹雪の中、駐車場脇の高い雪の壁の向こうに消えていった。


16時
みんなのピックアップポイントで子供達と雪だるまを作ったり、足し算の勉強をしながら過ごす。意外と有意義な時間が楽しめた。カナダは寒いので雪がサラサラで固まらない。しかし、ここの雪はある程度湿気を含んでいるので好きな形に加工できる。しばし子供と楽しい時間を過ごす。

17時
ジャクソンホールのローカル新聞をペラペラとめくっているとこんな記事が。
・・・今年は雪不足でスキーには最悪な年だ。今の時点で積雪が先シーズンに比べて50インチ少ない。今後の積雪に期待・・・・・
何年もジャクソンホール行を夢見て実現したトリップだったが来る年を間違えたようだ。
その時、無線機からユキヨの声が聞こえてきた。
「もうすぐ着きま~す。」
「はいはい、雪はどうですか~」
「バッフバフで~す!」
興奮した声が無線機から聞こえてきた。
連絡が入って10分ほどで3人が駐車場に姿を現した。
「やばい、パウダーっす。」
「すごいよ~!」
とにかく雪は良かったらしい。
「俺も行く時間あるかな。」
「どうですかね。」
「調べたけど日没は19時。」
「じゃ、行けると思いますよ。迷うところなかったし。」
今日はほぼ100%僕だけが滑れないと思っていたので目の前の雪に感謝した。

17時30分
再びティトンパス。風が強い。足元にはくるぶしまでの雪。
ユキヨが運転する車に別れを告げてバックカントリーに入る。
ティトンパスの駐車場から少し歩くとバックカントリーの入り口に何かある。近づいて見るとビーコンのチェック機だ。ビーコンを持った人が一人ずつ近づくとビーコンがきちんと作動しているかどうかマルバツのデジタル表示で示される。
こんなものが設置されているということはバックカントリーが一部の特別な人種の遊びではなくかなり大衆的な遊びである証拠だ。僕はこれがニセコや白馬辺りにもあってもいいんじゃないかと考えた。
ジャクソンタウンの山屋の店員の話では
「歩いて10分ぐらいで電波塔が見える。その電波塔を過ぎた辺りから滑り出すといい。電波塔までは10分ぐらいだ。」
と、聞いていたが、結局電波塔まで30分かかった。

18時00分
電波塔を過ぎて滑る準備をしていると、二人組みのスノーボーダーが追いついて来た。僕はバックカントリーの常識では考えられない時間にここにいると思っていたのでちょっとビックリ。
「どこからですか。」
タクが
「日本からです。」
と答えた。お前はカナダからだろうが、と僕は思ったが、タクのナショナリズムはまだ日本がベースらしい。
「コンニチハ!アリガト!」
と、アメリカ人。アメリカ人はアメリカにいる限り非常に人懐っこい奴が多い。彼らは僕らよりさらに奥のピークを目指していった。もう2時間で日没なんですけど。

18時10分
トラックの全く入っていない雪面に思いっきり突っ込んだ。オーバーヘッドのスプレーが上がる。斜度も申し分ない。タクともっちゃんの奇声が聞こえてくる。昨日までの雪不足のストレスを一気に解消。グランドティトンの深雪を初めて味あわせてもらった。
バックカントリーは今回のトリップの予定には入っていなかった。たった一本だが、今回のトリップを充実したものに変えてくれた一本だ。今度来るときはしっかり調べてガッツリ、ティトンパスをやっつけようと決心。
吹雪は容赦なく僕の頬を叩く。明日のスキー場は期待が持てそうだ。

2012年3月20日火曜日

ジャクソンホール Day3 ティトンパス 前編

前日の天気予報は午後からの雪の確立が50%。パッとしないパウダージャンキーの心を沈ませる内容の予報だった。
早朝に起きて雪が降っていればジャクソンホールから1時間ほど走った所にある、グランドターギーと呼ばれるスキー場に向かうことになっていたが、起きてモーテル窓の外を見ると曇り空だが一切落ちて来る物体はない。それどころか、モーテルに到着した時に比べて駐車場の雪は少なくなり、水溜りが出来始めていた。夜明け間もないというのに我々が住んでいるカナダ内陸部ではありえない気温だ。
僕はすっかりやる気をなくした。
僕の子供達を除く全員が寝起きのもじゃもじゃ頭で集まった。人間としての生態そのものの姿でリビングルームで人間が生物として今日はどうすれば幸せを最も満喫できるかを協議。
「これはどうしようもないですね。」
とタク。
僕もそう思う。1時間先のグランドターギーに出かけても、この気温ではターギーのゲレンデはもっちゃん言うところのたこ焼きだらけに違いない。ガソリンとリフト券代の無駄だ。しかし、僕のかみさんユキヨは気持ちが収まっていないようだ。
「今日一日何もしないで2泊もモーテルに宿泊しているよりは、滑りに行ったほうがいいんじゃないの。ここまで千キロ以上ドライブしているんだよ。今日一日何もしないなんてもったいない。」
一理ある。
「もったいない」の一言には重みがある。悲しいが、一言で言うと僕らは基本的に根性がビンボーである。冬の間、ろくに仕事もせず、滑りに全てをかけて来たやつらが裕福なわけがない。コンディションが悪いから何もせずにお金をセーブ、もしくはせっかくお金を使ってここまで来たのだから無駄にしないで最大に楽しむ努力。どちらも正解だ。
ゆきよを残して一同2度寝を開始した。僕はこの旅で初の遅寝を楽しんだ。再び覚えていない夢を楽しみつつ午前中の惰眠をむさぼった。
11時頃目を覚ます。子供達はもちろんすでに目覚め、リビングルームを走り回っていた。すっきした頭で今日の過ごし方を考えてみた。滑れなくともせっかくの旅行だから精一杯楽しみたい。
僕の身体に染み付いたビンボー根性は僕のの気持ちを貧しくもするが、お金では解決できない素晴らしいアイディアを生み出す事がある。突然僕の頭の中に貧乏根性の神が降りてきた。
ジャクソンホールに来る途中の事である。標高2千メートルを越えるティトンパスを越える時に無数のバックカントリースキーヤーのトラックを見かけた。ティトンパス頂上の駐車場には明らかにバックカントリー目的の車が停まっていた。ティトンパズ頂上からの下りはロウギアに入れたまま左右にハンドルを切りながら急な坂道を下った記憶がある。峠を下るとき、峠からかなり下った場所でもスキーのトラックを見かけた。いうこといは、峠の頂上から滑り出したスノーボーダーを峠の下で拾える場所があるのでは?・・・峠をドライブしている時に頭の中にそんな事を考えていた。
「町に行くぞ、調べたい事がある。」
子供達とかみさんを車に詰め込んでジャクソンホールの町に向かった。時間がない。この時点で昼の12時だ。

12時30分
ジャクソンホールで一番大きな登山用具屋に行った。バックカントリーの事はショップの店員に聞くのが一番早い。
この登山用具屋はどうやら夏のフライフィッシングとハンティングに強いようだ。北米のスポーツ店には3種類のタイプがある。
ホッケーやアメフト、テニスなどのスポーツ用品店。僕はこのタイプの店には全く興味なし。
釣りやハンティング用のスポーツ店。ここでは釣り用具とライフルを主に扱う。日本ではこのタイプのショップを見かけることはない。カナダに住む僕はこのタイプの店に驚くことはないが、アメリカでは拳銃が置いてあるのが印象的だった。ハンドガンは対人用だ。カナダの店には対人用ハンドガンを置いている店は皆無。近くてもやはり違う国だと実感する。
最後にキャンプ用品などの山岳関係を取り扱う店。今日僕が探しているのはこのタイプの店だ。
ジャクソンホールで最初に入ったスポーツ店でバックカントリー関連のガイドブックを扱っている店を聞くと町の地図まで取り出して実に親切に教えてくれた。

13時00分
拳銃売り場のおっさんに教えてもらった山ショップに行く。町の中心からかなり北にある店だった。店の名前は忘れたが、山ガイドもやっているような店なので僕が欲しい情報にありつけそうだと期待する。
店内の書籍売り場を物色していると40半ばぐらいの店員が話しかけてきた。
「何かお探しですか?」
「ああ、この辺りのバックカントリーのガイドブックを探している。ティトンパスの駐車場から一番簡単にアクセス出来てしかも帰りも登り返さなくていいようなコースを探している。この辺りのバックカントリーガイドブックはないのかい?」
「残念ながらガイドブックはないのです。あるのはバックカントリーエリアの写真集だけですね。」
写真集を見せてもらうと、ティトンパス周辺の斜面の山の斜面の写真が隈なく掲載されている。さすがアメリカフリースタイル。写真を見て自分のラインは自分で探せというわけか・・・
写真集を見ているとシーバスと呼ばれるエリアが一番気軽に行けそうに見えた。
「このシーバスって場所が一番気軽に行ける地域に見えるんだけど。ここはどう?」
「おっしゃる通り!、シーバスが一番簡単です。峠の頂上から滑ったら峠下の駐車場に簡単に出る事が出来ますから。峠の頂上から20分ほどハイクすると電波塔が出てきます。その電波塔を過ぎた辺りから下れば迷うこともありません。
「ありがとう。貴重な情報、助かったよ。」
僕は娘に大きなお花の付いたニットキャップを買ってあげると急いで宿に車を走らせた。

2012年3月17日土曜日

ジャクソンホール Day 2

11時頃、ジャクソンホールのスキー場に車を走らせた。僕らは幼稚園児2人を持つ身なので半日ずつ交代で滑らなければならない。今日は午前がかみさんのシフトだ。子供達とゆっくり宿を出て、スキー場に向かう。
スキー場へ向かう途中「ジャクソンホールスキー場駐車場情報FM局」の看板発見。直感でこの看板に嫌な感じを覚えた。
カーステレオを聞く。若い女性の無機質な声がスピーカーから聞こえて来る。
「スキー場の駐車場は一台15ドルです。」
北米では駐車料金を取るスキー場なんて聞いた事はない。まじっすか~?とビビリながら放送を聴いていると、
「スキー場から離れた駐車場は一台5ドルです。ただし3人以上乗っていれば無料です。この駐車場からはスキー場まで無料のシャトルバスが運行しています・・・・」
以上を聞いて判断できたのが、「ジャクソンホールは週末スゲー混む!」。
僕の想像していた「田舎の秘境、ひっそりとした隠れ場的スキー場」という可能性は頭の中から完全に消えた。有名なビデオであれだけ登場する場所だ。人が来ない訳がない。
あこがれの有名な赤いトラム乗り場の前でかみさんと滑り交代のため待ち合わせ、タクともっちゃんも一緒にやってきたが、雰囲気が重い。口の両側が上に上がっていない。目も死んでいる。
「初めてのジャクソンどうよ!」
僕は元気に尋ねたが、答えが無い・・・
詳しく話を聞くと、前の日気温が急激に上がり雪が溶けてそれがそのまま固まっているとの事。
もっちゃんはしきりにが
「たこ焼きにやられます。」
と言う。
かみさんは
「午後は雪が緩んで滑りやすくなるんじゃない?」
と言う。
たこ焼きの意味が分からなかったが、とりあえずトラムに乗り込んだ。
トラムは100人乗り。スキーヤーが圧倒的に多い。乗り込んでいる人種は完全本気バックカントリー派。ニットキャップの上にゴーグルをしてから申し訳程度にヘルメットというフリースタイルないでたちの人は一人もいなかった。年齢層が異常に高く、40歳以上の人が半分を占めていたと思う。
トラムの中では爆音で音楽がかかっている。トラムに常駐する係員が好きな音楽をかけているようだ。
トラムが山頂駅に着きそうになると係員からのアナウンスが入る。
「このトラムは100%エキスパートスキーヤーの為のトラムです。初心者コースで下山は出来ません。途中クリフやシュートがありますので心配な方は10分おきにトラムが運行していますのでトラムにて下山可能です。間もなくエキサイティングなディセントの始まりです。ドアが開けばそこはエクストリームの世界!Are you ready!!!!!」
このタイミングでハードロックが全開の音量でかかり始める。周りを見渡すとおっさん達がハードロックに合わせて頭揺らしている。まるでロックコンサートの会場のようだ。演出が素晴らしい。トラムが完全停止、ドアが開くと極太スキーを担いだパウダージャンキー達はぎゅうぎゅうに詰め込まれた狭いトラムから足早に強い風が吹きつける山頂に流れ出していった。

トラムを降りると僕が真っ先に向かったのが「コルベッツキャビン」だった。ジャクソンーホールの超名物コース、意味はズバリ「棺おけ」。
風でカチカチにたたかれた斜面を降りて行くとその入り口はあった。入り口には何人もの人々が崖の下を覗いている。コルベッツキャビンの入り口に近づき、恐る恐るシュートを覗き込む。
「これは怖いね。」
タクは声のトーンを上げてつぶやいていた。シュートの入り口は高さのある雪庇になっており雪90度の雪の壁だ。その下には斜度45度ほどの広い斜面が広がっている。しかし、一箇所だけ雪庇の一部が欠け、かろうじてエッジをかけて雪庇の半分ぐらいまで降りることが出来る場所がある。ほとんどのラインはそこから下に伸びている。
「いけそうじゃね?」
僕がそういうと、タクは
「いや、初日なんでやめときます。」
しかし、今までの経験で行けそうだと思った時に行かないと、気持ちに負けて一生行けないパターンを知っている。タイミングを逃したってやつだ。
「俺、行くわ」
「まじっすかー」
「まじっす」
僕がシュートの入り口に移動すると周りの見物人から
「行くの?」
「本当に行くのか?」
と、次々に声が上がった。
ドキドキはしなかった。世界一危険な山ジャクソンホールの名物コースだが、見た目にはそうも見えない。いつも滑っているレイクルイーズのほうが断然危険な場所があると思う。
大勢の見物人の視線を受けながら、雪庇の欠けた所へヒールエッジをかけながら滑り込んで行く。1メートルほど滑り込んだ後、ヒールエッジを開放し、ノーズをフォールラインに向けた。次の瞬間、雪庇下の斜面にドスンと着地。そこからの雪は風でたまったやわらかい雪で斜度はあるものの末広がりの斜面でむしろ心地の良いすべりを楽しむことが出来た。
結果、コルベッツキャビンは見かけ倒しだということが判明。しかし、この名物コースはただの観光用で、ジャクソンホールが世界中のエクストリームスキーヤーの憧れの地である理由は後日判明することとなる。
コルベッツキャビンをやっつけた後はジャクソンホールのスキー場内をクルージング。雪が悪いのと地形が把握できていないのでフルスピードで地形に突っ込んで行くことは出来ない。北米のスキー場は「クリフあり」と看板にあれば本当にクリフがあり、その大きさは分からない。ジャクソンホールの場合、スキー場内のクリフは大きな物で見た目30メートル以上ある。雪がいい日はこれをドロップする人がいるのでクローズにエリアにはなっていない。注意が必要というか、何とやら・・・・
高度を下げると、もっちゃんの言っていた「たこ焼き」が出てきた。「たこ焼き」とはシャバッシャバの春雪が滑りまくられた跡がそのまま凍ったもので、かなりの厄介ものだった。幸い僕が滑った時は午後なので雪が緩み、それほど硬くはなかったが、朝一はゴルフボールを30センチ間隔で埋め込んだ斜面を下るようなものだ。かみさんには申し訳ないが午後シフトに感謝した。
トラム2本目、再びコルベッツキャビンへ。せっかくなのでタクも名物コースを一応やっつけないとね。
コルベッツキャビンの上は相変わらず見物客でいっぱいだ。見た目よりも簡単だといってもコルベッツキャビンにドロップしなければそいつはただの見物客だ。見物客になるかジャクソンホールの一部になるかの差は大きい。
見物客の一人が僕に話しかけてきた。
「ここ下ったことある?」
「今日、一回下ったよ。見た目よりは簡単だったな。」
「下の雪は固いの?」
「いや、硬くないよ。あそこまで下れば後はフカフカだ。雪庇の下まで降りれば後は楽勝だよ。今から、こいつが下るから見ていれば?」
僕はタクを指差してそう言った。これでタクはもう後戻りできない。
「タク、見せてやれよ。」
大勢の見物客が見守る中、宅はコルベッツキャビンの入り口に近づいていった。
「あそこの高さはどれぐらい?」
「いいから行けよ。たいしたことないから。」
「でも・・・・」
「ごちゃごちゃ言わないでいけよ!」
タクは決心を決めたようで、コルベッツキャビンにスノーボードのノーズを向けた。
タクの身体はスルリと斜面に吸いこまれ、雪庇下の斜面に落ちていった。
タクはコルベッツキャビンに飛び込んでから数回ターンをして止まった。
「超かんた~ん!」
とタクから声が上がった。
先ほどの見物人が僕に声をかけた。
「彼は何て言っているの?」
「スーパーイージー!といって言っているね、僕も行くよ。見た目よりも簡単だから君も来いよ」
初めてジャクソンホールに来たくせに長年住んでいるローカルのように振舞っていたに違いない。後で判明することだが、コルベッツキャビンは単なる客寄せパンダだ。ホンモノのジャクソンホールの魅力は2日後に判明することになる。
僕は2回目のコルベッツキャビンを楽々ドロップ。タクに追いついてほとんど人の入らないコルベッツキャビン下のパウダースノーを楽しんだ。
この日は初日という事と、雪が激悪だったのでリゾート内のチェックに終わった。それにしても未知の世界で遊ぶのはなんと楽しいことか。やっていることは同じスノーボードでも、場所を変えただけでこれほど楽しみが増える経験を他に知らない。スノーボード以外に楽しみを知らない自分に逆に感謝。

2012年3月16日金曜日

カナディアンロッキーからジャクソンホールへ Day 1

Day 1

北米で最も危険なリゾートと呼ばれる「ジャクソンホール」に行くことが決まったのはタクの誘いからからだった。彼がカナダに来て以来毎年、「いきましょうよ~」と誘われていた。タクはカナダに純粋にスノーボーをしに来た。スノーボードをするためだけに来たので英語学校に通ったこともないし、もちろん英語はからきしダメ、実際カナダで3年間もモーマンタイで生活出来ているのが不思議なぐらいだ。
3年間温めた計画を今年実行出来たのはなぜか分からない、人生はそういうものらしい。
僕はすでに3歳と5歳の子供がいる。タクは気の合うガールフレンド、もっちゃんと一緒に旅をする訳だが、こっちは家族4人の大移動である。面倒なので僕らの住むカナディアンロッキーバンフの1200キロ先で現地集合することにした。お互いベタベタしていないスノーボードだけの関係に感謝。しかし、スノーボードの関係は日頃からベタベタとつるんでいるよりは心のつながりは深い。よろしくである。
バンフを出発して5時間でカナダとアメリカの国境に到着。別に悪いことをしているわけではないのだがなぜか緊張。問題なく国境通過。
カナダのカルガリーからジャクソンホールまでの道のりはアメリカで最も田舎の州を通る。モンタナ、アイダホ、そしてジャクソンホールの位置するワイオミング州はアメリカでアラスカを除いては最も人口が少ない州である。
海から千キロ以上離れている関係で非常に乾燥している。南下するハイウェイの両側は広大な草原。この草原はプレイリーと呼ばれており、年間の降水量は500ミリ前後。台風が来れば1時間で100ミリ以上雨が降る日本とは雲泥の差だ。あまりにも乾燥しているため大きな木は育たない。どこまで走っても見渡す限りの大平原が広がっている。大平原が続くモンタナ州を過ぎると、ハイウェイの東側に険しい山脈が見えてくる。あまりにも遠いので箱庭の山のように見える。
ハイウェイを降りて田舎道を遠くに見える山脈に向けて車を走らせる。視界に入る農作物は牛ばかり。新鮮な魚がおいしく見えるように牛はおいしく見えないが、最高の滑りを楽しんだ後のステーキは最高のはずだ。
ここまでの道のりを簡単に書いたが、すでにわが町バンフを出発してからすでに千キロのドライブだ。かなり疲労がたまっているが、目的地のグランドティトンの山々が近づいて来ると疲労がなくなるわけではないが、かなり軽減される。スノーボードパワーは常に僕の気持ちを回復してくれる。
途中偶然タクと合流。聞くとタクには一つ心配事があった。彼の車にはスタッドレスタイヤが付いていない。ジャクソンホールに行くには2000メートルを越えるティトン峠を越えなければならない。ティトンパスはアメリカでも有名なバックカントリーエリアである。パウダーを求めるジャンキーが集まってくる峠だけあって豪雪地帯だ。天候が悪ければ道路は前面雪に覆われる。
「タイヤチェーンを買いたいんだけど・・・」
彼はアメリカ内陸北部の田舎具合を完全になめていた。この辺りではタイヤチェーンは一般的ではなく、売っている場所はかなり限られている。人口数万人の町があったのでローカルに尋ねてその町で一番でかい店に訪れるタイヤチェーンはない。アウト・・・。これから通過する町はどこも人口数百人程度。まあ、タイヤチェーンを手に入れるのは不可能、何とかなるだろうと根拠のない確信を持ってティトン峠を越えることになった。スノーボーダーの人生はいつもそんな不透明な確信と共に歩んでいる。
ティトン峠の路面には雪がほとんどなかった。ラッキー!いや、ラッキーじゃないだろ。雪を求めてやってきたのだ。この時点でタクはほっと安心していたのだが、後でとんでもない体験をすることになる。
ティトン峠の頂上に向けて車は少しずつ標高を上げていく。標高が上がるにつれ、ハイウェイ両側の雪の壁が高くなっていく。雪の壁の高さが1メートルを越えた辺りだろうか、ハイウェイ周辺の山の斜面に滑った跡が見え始める。高度をあげるにつれその数が増えていく。まっさらな斜面に数本ずつスキーのトラックが入った様子はまるでヘリスキーの広告だ。そんなおいしい斜面がハイウェイの両側に次々に現れる。興奮はティトンパスの頂上で最高潮に達する。ティトンパスの頂上には比較的大きな駐車場が設置されていて、そこには本当に動くのかどうか分からないような古い四駆が十数台駐車してあった。アウトドアメーカーのステッカーが隙間なく張られている車を見ると大人になりきれない大人が遊んでいるのが想像できる。ステッカー使用度って子供度を測る一つの指標になるという持論を持っているが、結構当たっていると思う。
峠を越えるとジャクソンの町だ。バンフから旅に出て最後に信号を見てから2日経っていた。何も無い大平原を2日間かけてドライブした僕らにとってはジャクソンタウンは大都会だった。
ポニーエキスプレスというモーテルにお世話になった。営業妨害になってはいけないと思うのだが、外見はお世辞にもほめられない。どうやら駐車場が鹿の獣道になってるらしく、鹿の糞が散乱しているし、部屋に上がる階段にはごみが散乱していた。ウェブサイトで見た素敵な外見は良さげに撮影されている事は間違いないが、あまりにもギャップにちょっとひいた。が、部屋のドアを開けたとたん、不安は喜びに変わった。中身は別世界、42インチのテレビが設置され、ホームパーティーが開けそうな広さで、しかもなかなかおしゃれな空間だった。ベッドルームも快適そうで僕の子供二人は「すごーい!」を連発し、丁寧にセットされたベッドの上を無遠慮に飛び跳ねていた。
キッチン付きだったのでスーパーへ買出しへ。タクともっちゃんのリクエストで分厚いステーキを買った。牛の名産地だから牛を食らう。大雑把に味付けしてチョットしょうゆで食す。こちらの高級肉に言わせれば霜降りなんてとんでもない。赤身でやわらかいのが特徴。赤身でやわらかいと言っても霜降りよりは硬いのだが、その弾力を歯で楽しみつつジューシーな甘みを楽しむ。ここまでカナダから100キロ以上運転している。ガッツリ食ってさっさと寝た。あこがれのジャクソンホールを夢見ながら。。。